日本史語らずにいられない!

日本史について掘り下げていきます。

「七生報国」に非ず

私は最近、「ライズ・オブ・キングダム」というスマホゲームをやっている。それぞれの国の古代文明を、同盟を結んで発展させていくというものだ。

世界史に暗い私は、やはり日本人だからというやや後ろ向きな理由から日本文明を選んだ。

野蛮人と戦闘を行う指揮官も、日本人で日本語をしゃべっているという気安さで充分楽しんでいる。

ただ一つ気になることがある。最初の指揮官が楠木正成で、子供の頃から贔屓の武将だからそれは大歓迎だ。

指揮官は戦闘などに赴く際、二種類の掛け声で軍勢を励まし進軍する。

楠木正成の場合、

天皇のために、いざ戦わん!」

七生報国(しちしょうほうこく)〜!」

という掛け声を上げるのだ。前者は、史実の正成を考えれば正に言いそうな台詞と言えなくもない。

しかし後者に関しては、軍国主義昭和前期の日本を象徴している言葉なので、正直聞いていて複雑だった。

実を言えば、正成本人は「七生報国」などとは一度も言ってないのだ。

楠木正成の最期は、建武3(1336)年の湊川の戦いでの敗北にあることはあまりに有名だ。

新田義貞と共に勅命で九州から攻め上ってきた足利尊氏の軍勢を討滅するため、兵庫に官軍である正成らは陣を布いた。

ところが敵勢の陽動作戦に引っかかって、新田軍が和田岬から動かなかったため元々寡兵だった官軍は劣勢に立たされ、楠木軍が孤軍奮闘する羽目となった。

戦闘は6時間にも及んだが、衆寡敵せず敗走を余儀なくされた。

そして湊川近辺の民家へ逃れた正成は、生き残りたい意思のある者たちを落ち延びさせ、僅かに残った一族郎党と共に自害する。

正成は弟の正季(まさすえ)と刺し違えて死ぬのだが、その直前に弟にこう尋ねる。

「死ぬ前に何か言い遺すことはないか?」

正季は間髪を入れず、

「望めるものならば、七度(ななたび)生まれ変わって朝敵(足利尊氏のこと)を滅ぼさん!」

と叫んだ。まっすぐな弟に正成は苦笑しつつも、

「現世に未練を遺すことは罪悪なれど、わしも同じ考えだ」

と正季の言に同意し、共に死出の旅へと向かった。享年は不明だが、42、3歳くらいではと言われている。

この正成・正季自害のくだりは、昔現代語訳の『太平記』で繰り返し繰り返し読んだものである。だから間違えようがない。

正確には、「七生滅敵(しちしょうめつてき)」で「七生報国」は後世の創作。更に言えば、正成ではなく弟・正季の最期の言葉である。

ところが「七生報国」についてWikipediaでググってみると、正成が言ったことになってしまっている。

完全な史実の履き違えであり、即刻訂正してほしい。それにしても皮肉な話である。

軍国主義の頃の我が国において創作され、作家三島由紀夫楯の会という民兵組織を運営する途上で用いられた言葉が、巡りめぐって現代に甦るとは。

言葉自体の業の深さを感じずにはいられない。


※このブログは、毎月第2、第4日曜日に配信予定です。

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